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同窓会

「ねえ。」 上質の食後のコーヒー。 ブルマン100%の芳しい香りとそのほろ苦い味覚とが、ゆったりと五感を刺激する。 「・・・ん?」 先月から出張が続いて、やっと戻ってきたかと思ったら、 連日遅くまでのビジネスで、疲れているのか。 司は、ちょっとけだるそうに顔を上げて私を見た。 「同窓会、行きたいんだけど。中学の。行っていいかな?」 「同窓会?・・・俺のか?」 私の質問に、よく考えてもいない口調で司は聞き返してきた。 「まっさかー!私のよ。当たり前でしょ!?なんで私が、あんたの中学の同窓会に行くのよ?」 「そんなら、なんでわざわざ俺に許可なんか求めるんだよ?」 司は今の私の言葉に、ちょっと不機嫌になって言った。 そう言われれば、そうだ。 外の空気を勝手に吸いにいってもいい? いい年をした大人が、そんなことを聞いてるなんて。 確かに、私が司にいちいち許可を求める必要なんか、ないのに。 無意識のうちに道明寺家の外での行動だからと思うと、 まるで保険をかけるみたいに、こいつに確認を求めようとしていた・・・ 道明寺司と結婚して、間もなく二年。 確かに生活は激変した。 今の私は、この広大な道明寺邸で使用人の皆から「若奥様」などと呼ばれる身。 そのよび方、あまり慣れないんだけど、まだ。  「道明寺夫人」になってから二年がたっても。 生来バタバタと身体を動かしてるのが、好きなのに、 ここでは私が箒を握ろうとすると、使用人の誰かが飛んでくる。 夕食だって、文句のつけようがないくらいすばらしいものが、シェフの手で連日用意されてしまう。 いや、掃除は私が・・・とか、今日はどうしても料理がしたくて・・・と 無理に頼んでさせて貰うことも以前には何度かあったけど。 それだって、このお屋敷の人たちに余計な厄介をかけてるだけって。自然に悟るようになった。 だから、結婚してからの方が、一体私は司に何をしてあげられるんだろう?って、 クビをひねってしまうことも、多いんだ。 でも司は、仕事で疲れて自分の家に帰ると私がそこにいる・・・それだけでいいんだと言う。 一方の私の方は、これでいいのかな〜と自問自答の日々だっていうのに。 「んん。確かに、私が自分の同窓会に出席していいかどうかあんたに聞くの、おかしかったね。 じゃ、ともかく行って来る。優紀も一緒だし、久しぶりに昔の友達にも会えるから、なんか楽しみ。」 「ああ。車の手配とか、家の者に適当に言っといて。」 司はたいして関心もなさそうに、そういった。 車・・・要らないんだけど、な。 優紀と地下鉄の駅で待ち合わせようって言ってるから。 勿論SPも無しで。・・・って考えながら、私は本当は、「同窓会に行っていい?」じゃなくて、 「SPも何もなしで、元の庶民・牧野つくしに戻って外出してきていい?」が 聞くべきことだったんだと思い当たった。 でも、司はもう、今しがたFAXで会社から送られてきたばかりの資料に目を通し始めていた。 左手は何枚かの資料を持ち、右手は長い指がコーヒー・カップを時折器用に口元に運ぶ。 そして、集中して短時間に資料を頭に叩き込んでしまおうとしている。 私は、そんな彼の様子を黙ってみているだけで。 容姿が人並み外れて格好いい・・・ってだけじゃなくて、本当に大人の男から見ても、 魅力的な青年になった。 ビジネスの世界でもバシバシと存在感を発揮してるし。 そして、私はこんな時の司に声をかけて邪魔するなんて、とってもできなくなってきている。 おとうさんやおかあさんから、司が確かに受け継いでいる、道明寺家のDNA。 人々の上に君臨するために生来備わっていた感じの、圧倒的なリーダーシップと、カリスマ性・・・ いつの間にかそのDNAが司の中でも活発に働き出しているのが、私の目にははっきり見える。 同窓会当日は、あいにくの曇天だった。 雨、降り出すかしら?お天気持つといいなあと空を見上げながら、傘を片手に家を出た。 や、車の送り迎えはいりません。 今日は結構です、と運転手さんに何度も断るのが大変だった。 でも、今日だけは私は「あの道明寺家の若奥様」ではなくて、 中学時代の旧友に会いにいく「牧野つくし」として、外に出たい。 あの頃と同じつもりで・・・ね? 「つくし?・・・わ、やっぱり見違えちゃった。会えるの、半年ぶりだよね?」 駅前に先に来ていた優紀は、私を見るなりそう言った。 「そ、そう?私、変わってないでしょ?」 自分じゃ変わったつもりなんかないのに。 一番親しい親友の一言に、しょっぱなからちょっと出鼻をくじかれた気分。 「うん。なんか雰囲気がね。やっぱりあの高貴なお家の雰囲気に包まれていると、 変わってくるもんだね。それに、そのワンピース。すっごく品がいいよね。 お家の方が選んでくれるの?それとも専属のファッションデザイナーとかがついてたりして・・・」 優紀の方は、まるで屈託なく、私がお洒落で素敵になった、なんて言ってくれるのだけど。 今日の私は、服装もなるべくシンプルにしたかったので、グレーのモノトーンの グラデーションがかかった薄手のニットのワンピースを身につけていた。 司の休みが取れたときに、二人で選んだものだったから、舶来のブランド品には違いない。 でも、華美な衣装は必要最低限にして、外出着だってなるべく肩の凝らない カジュアルに使いまわせるものを、と意識して衣装も作っているんだけど・・・な。 「そう?誉めてくれてありがと。 優紀の服だって、とっても可愛いよ。」 私は胸元に苺柄のデザインが入ったカットソーを着て、 それにちょっと乙女チックなロング・スカートをあわせた優紀に話を振ったけど。 「あら、私や他の皆みたいな一般庶民のスタイルは、普段着だって高級ブランドの つくしの世界とは全然違うよ〜。」 優紀は陽気に言いながら、じゃ、いこうと私と腕を組んできた。 「ねえ、優紀? 今日はせっかく外で昔の仲間に会うんだし、 そこでは私、道明寺家のドの字も引きずらないつもりで、いるんだから、ね。」 地下鉄に揺られながらそんな話をすると、優紀はあら、という風に切り返す。 「そりゃ、たまには学生気分に戻りたいってつくしの気持ちも、わかるけどさあ、 でも皆に注目されないでっていうのは、なかなか無理な話なんじゃない? 結婚している子自体が、まだ数少ないんだし。 しかも同じ中学の同級生だったあんたが、あの道明寺家にお嫁入りしたなんて、 やっぱ皆からみれば特別なことだからさ。いやでも、目立っちゃうよ。」 そして、優紀は励ますようにちょっと私の肩を抱いた。 「あんたの方こそ、意識のしすぎ。・・・あんた、道明寺さんと付き合っていた時だって、 彼や他の英徳の人たちとの家柄の違いなんて気にせず、自分のペースでやりあってたじゃない? 形は変わっても、それと同じでいればいいんじゃない?」 ああそうだね、気持ちを切り替えなきゃね。  道明寺家のやり方ってのに取り囲まれて24時間過ごす毎日の中で、 いつの間にか肩書きで見られることに、過敏になってるのは私の方だったよね。 地下鉄を降りて外を歩き始めたら、さっきから怪しかった空は益々暗くなり、 そしてピカっと大きな稲光がした。 やだな・・・やっぱり雨降りだしそう。・・・ 「一雨来るね。帰る頃にはやんでると、いいけど。」 優紀は空を見上げて、言った。 この日の同窓会の会場は、通りに面したビルの地下にある小奇麗な居酒屋で、 優紀も私も到着したそうそうに、「ワー!」と皆の歓声に迎えられた。 「すっごいよねー、つくしさんって。本当にセレブの雰囲気。」 「着てるものが、さりげなくシックで素敵だし。・・・やっぱ違うよね?」 「今日はお車は?それから御付きの人はどうなっているの?」 「ご主人の道明寺さんは、この同窓会につくしさんが参加すること、なんて仰っていた? よく許してもらえたよね〜。」 立て続けに質問を受ける。・・・私はまるで宇宙から来た飛行物体かって くらい物珍しげに見られて。 「それで、道明寺さんとの結婚生活は、どうなの???」 あの・・・ね、私は別にシンデレラってわけじゃないんだし。 やっぱ皆、明らかに私を特別視してて・・・そして、その敬語は 一体ナニヨ!?状態なんですけど。 そう。私は別にガラスの靴を履いたお姫様ではないし。 それに、司だって決して、白馬に跨る王子様ではな〜い! 高校ん時に恋愛して結ばれた、ただの男と女のカップルだよ。 それどころかね。私達は、出あった頃から滅茶苦茶に、ガンガンにバトルもしてきて、 本音の感情を剥き出しにぶつけあってもきた。 周囲の雑音とか・・・もっと酷い妨害とかそういうのとも、二人で一緒に戦ってきたし。 ・・・その戦った結果がなぜか、二人の結婚だったって気がするし。 「いや、あいつ・・・じゃなくて、彼も結構忙しいから、別に結婚したから 特にどうってことでもなくて。」 興味深々、目の色を変えて皆から覗き込まれて、 私は何度も同じことを説明してる気分になってきた。 「結婚生活自体は多分他の人と同じ・・・だよ。年も近いし、 元々高校の時の友達同士でもあったんだし。 それに私は相変わらずの私だから。  どこにいったって、そんな人間が変わるわけでもないから。」 「あら、つくしさんてば、あの頃とは見違えるほど上品で、いい所の奥様風になったよね。」 皆は勝手に頷きあった。 「道明寺さんて、外ではとっても厳しいとこがあるけど、奥さんにだけはすごく 優しいんだって、聞いたことある。」 「そうそう、聞きたかったんだ。道明寺さんはつくしさんのこと、何て呼ぶの?」 「それからつくしさんの方は、家では道明寺さんのこと名前で呼んでる?」 「お屋敷ではパーティとか頻繁にあるんでしょ? そこではどんな人と知り合った?芸能人とかとも会えるの?」 うわ・・・ちょっと待ってったら! ちょっと気を抜いていると、こっちが答えることの倍の質問ですよ・・・ 今日はね。皆のための同窓会だよ。 私もただのクラスの一員だってば・・・もっと、皆のことで盛り上がろうよ。 救いを求めるように優紀を見ると、優紀も所在なしとちょっと肩をすくめてみせた。 「ねえねえ、皆。とりあえず席について、乾杯しようよ。」 優紀は空気を変えようと暫くして言ってくれた。 「まだ到着が遅れている人もいるみたいだけど、そろそろ始めてない?」 飲み物は、生ビールのジョッキ。 こういう気軽な飲み物で再会の乾杯をするのって、いいなと思ったのも束の間。 「つくしさんは、ビールみたいな庶民的な飲み物は、普段口にされないんでしょ?」 「いや、そんなこと・・・」 私は、訂正しようと思ったのに。 「いいわよねェ。いつも年代モノのワインを飲みつけてる人は。」 「あの・・・」 言いかけた私の言葉を聞いてる人は、いなかった。 「あっ、俺ね。こないだの接待の時に、つい飲みすぎてひっくり返っちゃってさ。上司に大目玉!」 「ウッソー!接待の場でそういう醜態って、考えられないよね〜。」 「聞いてよ、うちの上司なんかね、最悪!・・・お酒の場にかこつけてね・・・」 「それってさ、由美に気があるんじゃない?」 ふと気が付くと、乾杯から間もなくする内に、いつか自分が皆の話題から取り残されて いることに気が付いた。 男子も女子も、最初に出てくるのが職場での上司への不満と、キツーイ先輩に気をつかう話。 そしてナマイキな後輩の話。 まずはこれで話が尽きない様子だった。 会社への文句をさんざぶちまけた後は、近頃ちまたで流行っているグッズの話だとか。 今一番人気のトレンディ・ドラマの話題に、ちょっと気になる俳優の話、 気に入ってるレストランの話・・・ そりゃ、中には私も混じれそうな話題もあったんだけど・・・ 「やっぱりつくしさんは違うよね〜。こんな下々の話なんかに、付き合えないって顔してる?」 随分たってから突然また一言、話が振られた。 「え?そんなことないよ。ただ、私は会社のこととかはよくわかんないから、 皆の話を聞いてただけで・・・」 慌ててそう言う私に、さっきから一言も話し掛けて来なかった一人の男子が、言った。 「道明寺さんは、デカイお屋敷の中で大事にされてるから、何も気が付かないですむんだろうけど。 道明寺財閥みたいな大企業ってのも、しょせんは俺達一般人を踏み台にして、 利益を上げてるわけだしな。 じゃなきゃ、このご時勢でああいう大企業ばかりが、儲かってていい暮らしができるっていうのも、 おかしな話だもんな。」 「え・・・」 「おい、よせよォ、川口。自分とこの会社がうまく回ってないからって、 こういう席で冗談はやめとけ。」 誰かが、言った。 私の顔色が変わったのに気が付いたのだろう。 でも。今の川口って人の言い方は冗談って、感じじゃなかった。 ・・・すっごくしらけた目で私を見ていたし。 そこに好意のかけらも、ない。・・・ひがみや、やっかみがはっきり見える。 だいたい道明寺財閥が一般庶民を踏み台にしてるって、話が飛躍しすぎだし、 根も葉もないこと言わないでよ・・・ 「別に、俺は嘘を言ったわけじゃ、ないぜ。世の中、不公平にできてるよな、昔から。」 川口という男は、重ねていった。 「やめときなよ。そんな話題、この場で取り上げたって皆がしらけるだけ。 どっちにしろ、深窓の奥様に聞かせることじゃねーよ。」 誰かが話を打ち切ろうとそう言い、今度はそれにこたえて、別の誰かが笑う。 「そうそう。普段は俺ら庶民から遠く離れた世界にいらっしゃるんだから、 ショックが強いと寝込んじゃうかもよ。」 皆、何気なく言ってるだけと思うけど・・・ それに特に悪気はないつもりだとは思うんだけど・・・ なんか皆が、元々は同じド庶民だったのに、「道明寺つくし」になってしまった私を 持て余しているっていうのか。 その刹那、私は英徳に入ったばかりの頃に、あのブルジョア連中から 村八分にされてたことを思い出した。 あの時も、私は「セレブの世界に入ってきた貧乏人」って異分子だからって、排除されたけど、 今度は元々自分がいた「庶民の世界」で、一人だけ異物扱いをされている・・・ F4と一緒の空気が一番、懐かしい。・・・そう思った。 あそこでは、私は自然でいられたのに。 最近では、道明寺が多忙になったせいか、殆どF4の誰とも・・・ 花沢類とも、西門さんとも、美作さんとも、また滋さんとも、滅多に会う機会がない。 本当に話が合う相手、気持ちの通いあう相手を見つけるのって、案外難しい。 それなら、無理をしないでここでは、無難に時間をやり過ごしてしまった方がましかも。 せっかく、楽しみにしていた中学の同窓会だっていうのに。 ・・・道明寺つくしとして出席するのは・・・ あまりに他の人達との「精神的な乖離」を思い知らされただけ・・・だったかも。 世話役の優紀が、他の人に捕まってしまったせいもあるけど。 いつの間にか、私の両隣だけぽっかりとスペースが空いてしまって。 手持ち無沙汰。・・・会はまだあと1時間も残っているのに・・・ 「牧野・・・じゃなくて、道明寺さん、だったね?」 突然、上からそう声をかけられて、そして隣りの席にすとんと誰かが座る気配がした。 視線を下に落としていた顔を上げると、そこには織部慎吾くんがいた。 「あ、どうも。お久しぶり。」 「どうしたの?牧野、なんか浮かない顔して。」 織部君は、私の顔を改めて覗き込んだ。 「私?・・・浮かない顔、してるかなあ?」 「んー、なんとなく。せっかくいかした格好してんのに、全く笑顔も見せないってのは なんか勿体無い。」 そう言って、彼は笑顔をみせた。 織部君の様子だけは、中学の頃の彼のままだったから。 私も、思わず自分の肩の力をふっと抜くことが、できた。 「で、牧野・・・じゃなくて、ごめん。道明寺さんだっけ・・・」 「いいよ、牧野で。」と私はくすっと笑って言った。 なんか、いかにも私を呼ぶのに慣れない風の、織部君がおかしかった。 「うん。じゃ、牧野。・・・元気そうだね。結婚生活は、どう?」 いや、照れるんですけど。こういう会話・・・ 「そうだね。私達って、随分結婚前の付き合いが長かったから。 結婚したからってどうって変化はないよねって思っていたんだけど。 やっぱ、付き合ってた時とは違うね。」 織部君は、手元にあった唐揚げやポテトフライなどのおつまみを 無造作につまみながら、快活に言った。 「そりゃ、違って当然。特に牧野は変哲もない庶民だったのに、 すげー家に嫁に行っちまったんだからさ。」 そして、付け加える 「道明寺さんて、あのずっと昔、俺にヘッドロックかけた人だったよね?」 その一言に、私は隠せないくらいに真っ赤になる。 「う・・・その節は、本当にゴメン!高校の頃のあいつって、あんな風に 歯止めのきかないトコあってさ。 ほんっとに、私もどんだけあいつのせいでぎょっとしたり、ハラハラしたことか・・・」 特にあの当時。まだ私達がちゃんと付き合う前はひどかった。 嫉妬してんだか、気持ちが荒れてるんだか、まあ理由は色々あったんだけど。 あまりにストレートに示される私への感情表現に、何度うろたえたことか ・・・正直、持て余してもいたな。 そう思うと、そういえば最近のあいつって、少し変わったかもって気に、なってきた。 そりゃ、結婚して二年もたつと、以前のように「おまえは俺のものだ」って わざわざ外でわめく必要も、ない。 関係もそれなりに落ち着いてくる・・・でも、多分。それだけじゃ、ない。 「あの時は、でかい男にいきなり襲われて俺、本当にびっくりしたけど、」と織部君は続けた。 「でも、今から思うと牧野はほんっとにスケールのデカイ世界の男に愛されたんだなって思うよ。」 「ハイ。おかげでここに来るまでにも色々あって、もうクタクタ。 結婚ってあちこちに気も使うもんだし。 なんか、気軽に独身生活を謳歌してる皆が羨ましいって気にもなる。」 そう言いながら、でも私には他の道を選ぶことなんか考えられなかったんだって、わかってもいる。 「もう少しして皆も結婚するようになったら、今の私が感じるような皆との異質感も、 変わってくるのかな。」 織部君も、とっくに私が他の皆と溶け込んでいないことに、気が付いていた。 優紀だけは時折気をつかって私に声をかけてくれようとするけど、 後の皆はひとしきり好奇心が満たされた後は、 なんか私のことは遠巻きに見てるか、または自然にスルーって態度で敬遠・・・なんだよね。 「上流社会に今から加わっていくのも結構きつそうだし、一方で元からの仲間は遠ざかっていく。」 織部君は適確な表現で、言った。 「牧野も、辛いところじゃあるよな。」 「うん、仕方ないんだけど・・・。」 私は一つ溜息を落とすと、あまり得意ではないお酒のグラスをぐいっと傾けた。 「ね、そんなことよりさ、織部君の方は?今どんな仕事してるんだっけ?」 さっきから私ばかりプライベートをあれこれ質問されてたから。 気軽に話ができた織部君に、つい水を向ける。 私の質問に織部君は、余裕の表情を浮かべた。 「ああ、俺の方は別に。いたってフツー、かな。自動車メーカーに入社して、 今そのマーケティングをやってる。 牧野のご主人みたいにすごい会社の経営者とかいうわけじゃないけど、 まあ生活には困らないだけの給料、貰えているし。仕事もそこそこ面白いしさ。」 ふーん。それがごく一般的な25歳の会社員ってところかしらね? ついでに私はもう少し聞いてみることにした。 「そう。充実してるんだね。・・・それで、休日とかはどうしているの?リラックス、できてる?」 「うん、大学3年の頃から付き合ってる彼女がいてさ、」 そこまで聞いてはなかったのに、織部君は屈託ない口調で話した。 「ま、彼女と会って食事したり、一緒にドライブしたり。そんな感じかな。」 「いいね、楽しそうで。」 単純にそう思ったから。それは別に、深い感情から発した言葉じゃなかったんだけど。 織部君に思いっきり顔を覗き込まれてしまった。 「牧野は?今の生活、楽しくないの?」 「え?いや、そんなことはないよ。」 「ご主人とは?うまくいってるんだろ?」 「そりゃ、そうよ。特に何にも問題はないよ。」 「そう。」 だって、そうだよ。私と司はずっとうまくいってる。 もう以前のように、お互いが不器用に感情をぶつけあって、互いの心が悲鳴をあげたり、 浮き足立ったりってことはなくて。無駄に傷つけあうこともない。 夫婦というちゃんと公認の関係になって、私達ずっと落ち着いた関係を築いたんだよ・・・ね。 でも・・・以前を考えれば、落ち着きすぎてる? 前みたいに相手のことだけ考えてれば、それだけで胸一杯になっちゃうって 感情を随分長いこと味わってない? いや、それは普段の司が、あまりに忙しいからってことで。 二人の愛情が薄くなったとか、そういうことじゃない。 これが普通、だよね。 結婚しちゃえば、誰だって自分達の関係に落ち着いていく。 いつまでもお互いの顔を見てドキドキしてるって方が、尋常じゃないよね・・・ 「牧野?」 急に黙り込んだ私に、織部君が気をつかって聞いてきた。 「あ、うん。ごめん・・・あのね、織部君の彼女は、外に出かけるときに お弁当作ってくれたりするタイプ?」 「?・・・まあね。俺胃腸があまり丈夫じゃないから、 彼女、結構薄味でさっぱりしたものをって気を使ってくれるかな。」 「へえ。じゃ、織部君、その彼女に感謝しなくっちゃ、ね。」 ・・・私、やっぱり羨ましく思ってるのかな。フツーの恋愛ってもんに。 やだな、何言ってるんだろ。 司と結婚できてとっても幸せで、嬉し涙を零したのは他ならぬ私だったよね? 「おい、織部?道明寺さんと何を二人っきりでさっきからツーショットやってるんだよ?」 突然、隣りに宮坂という別の男性が割り込んできた。 「なんか、おまえらさっきから二人で盛り上がってるしさ、 織部は中学の時から彼女に惚れてたもんな。 もしかして、いまだにおまえらの関係、続いてたりして。」 「まっさか。」と陽気に織部君は切り替えした。 「誤解されるようなこと、言うなよな。牧野は既婚者だし、俺だって彼女持ち。 二人ともプライベートに不満はないよなって、自慢しあいっこしてたところ。」 そう言ってから、席を立ち上がりかけた織部君は私に、言った。 「そういえば、うちの弟の順平、覚えてるよね?あいつ今、本格的に役者になりたいって、 NYで劇団に所属してあれこれやってるみたいだけど、こないだ会った時に言ってた。 思い切ってこの世界にチャレンジしなきゃって、そう思ったのは牧野と道明寺さんに 出あったお陰だって。」 「順平?・・・」 「うん。あんなに人生斜に構えているヤツっていなかったのに。あいつを感動させるなんて。 さすが、牧野だなって、思った。」 そう言って織部君は、微笑んでみせた。 間もなく、優紀が私の傍にやってきた。 「ごめん、つくしをほっといちゃって。・・・向こうで理恵たちと話が 盛り上がってたってこともあったんだけど、 なんかつくしと織部君もすごく仲良く話してたからさ。割って入れなくって。」 「そうだね。私も久しぶりに織部君とゆっくり話ができた。」 そう言って時計を見ると、もうお開きの時間・・・だった。 向こうでは二次会に行く人を募っている。優紀も、誘われていた。織部君も。 私には・・・誘い自体がなかったし、それにさすがにそこまでは・・・ 道明寺司の妻が深夜まで帰ってこないっていうと、またうるさいことにもなるから。 今日は十分、外の空気ってものを、味わえたってことで。私は、もうこれで帰ろう。 皆に軽く挨拶をしてから、一人で先に階段を上がって外に出ようとしたら、 天気の方はおおいに崩れて、いつの間にか音をたてるほどの凄い土砂降りになっていた。 「ひえ。」 私は傘を指しながら、一瞬そのまま佇む。 同窓会の会場が地下だったからなあ。こんな凄い雨とは気がつかなかったよ。 ・・・家には車は要らないって言ってしまったし。仕方ない、地下鉄の駅までダッシュで走るか。 と思ったその時。 急に向こうに駐車していた車のフロントライトが瞬いたかと思うと、 その車が私の目の前に滑るように停車した。 イタリー製の高級車。 シンボルの跳ね馬のマーク。磨き抜かれた美しいフォルムのボディ。 すぐに、助手席のドアが開けられた。 え? 「何をぐずぐずしてんだ。早く、乗れ。」 ぞんざいに私に言葉をかけたのは、司だった。 「どうして・・・あんたが、ここに?」 「あ?夕方家に電話をしたときに、おまえが車を断って一人で出てったって聞いたから。 今日は夜から大雨になるって聞いてたのに、相変わらず考えナシだからな。」 「それで、わざわざ迎えにきてくれたの?」 私の問いに相変わらずの口調で司は答えた。 「仕事が終わったついでだ。どうせ帰り道だったし。」 そう言いかけてから、ちょっといたずらっぽく口元を歪めて、言う。 「それに、誰かが気安くおまえの肩に手でもかけて出てきたら、そいつを殴って やらなきゃならなかったしな。」 「バッカね。そんな人、いるわけないじゃない?」 司は声をあげて笑うと、アクセルを全開にした。 うわ。夜の雨の街を車は滑るように走り抜ける。 「んで?二次会とかは断ったんだろ。飲み足りなかったか?」 「そんなことない。・・・それに付き合ってると遅くなっちゃうし。」 「んじゃ、家に帰ってから二人で、飲むか。」 そう言うと、司は片手でハンドルを握りながら空いている片手を私の膝の上に置いた。 「ちょっと!路面滑りやすくなってるでしょ?気を散らさないで安全運転、してよね?」 「うるせーな。俺を誰だと思ってるんだよ?」 こんなやりとりをしながら、私はさっきまでの同窓会での気づかれも忘れて、 この日一番の心地よさを感じていた。 道明寺財閥の中で忙殺されると、二人で過ごす時間もままならないけど。 いつも思い通りにはいかないって結婚生活じゃあるけど。 こいつが私が選んだ夫、なんだ。 願わくば、司の毎日が100%道明寺財閥のビジネスだけに取られてしまわなければいい。 そして願わくば・・・時々こんな風に二人だけの「予期せぬドライブ」なんて 時間があればいいな、なんて思う。 それが、今の私のささやかな望み。 〔fin〕

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