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約束の時へ 番外編

春の便り

真冬の寒さもあともう少し、という2月の半ば。 身体を冷やさないようにと、邸中の人たちから 手厚いケアを受けながら、過ごす日々の中で・・・ 「出産予定日」まで、ついにあと2週間を切った。 もうすぐ、私たちの赤ちゃんに会えると思うと、嬉しいけれど。 自分が、かの道明寺財閥の「御曹司」の妻として、 出産に臨むのだという実感は、 あまり・・・ ない。 お腹は相当に、重たいんだけど。 でも、身体は動かしていた方がいいですよって、先生もおっしゃってたし。 今日も、やっぱり外の空気を吸いたくて、 お家の周りだけ「ちょっとだけ、お散歩」・・・。 「ふわあっ、気持ちいい。」 でも。 ・・・さすがに最近では、私が一人で外をうろうろしていると、 必要以上に皆に心配をかけることもわかってきた。 だから、ひとしきり冬のお庭を外から覗いて歩いたら、 もう帰り道だ。 そういえば高校のとき、この邸から うちのアパートにてくてく帰ったことがあったなあ、なんて思いだしていたら、 いきなり目の前に、意気盛んなスーツ姿の若い女性が現れた? ・・・かと思うと、 次の瞬間には、ぐいっとマイクが私の鼻先に突き出されていた。 「・・・は?」 「おはようございます、道明寺夫人! 今日も颯爽とステキなコートをお召しになっていて、 さすがは道明寺家の、若奥様の出で立ちでございますね。 世の女性の憧れの的ですわ!」 「・・・」 まりのように膨らんだお腹を、しっかり防寒対策で 何重にもガードしている私の姿は、 どっから見ても100%、女性達の憧れのスタイルとは思えない・・・。 「それでは、ちょっとお話をお伺いしたしますね。 どうぞお楽になさっていてくださいませ。」 なんか・・・やけに手際がいい。 ・・・ん? 見上げると、カメラマンらしき男まで一緒にスタンバってるではないの。 アリエナイ。 こっちが返事をする前から、 写真を撮らせてくださいと、笑顔で合図されカメラのレンズが向けられてるよ。 どうやら私が一言も発する前から、 既にもう女性レポーターの取材は、始まっているらしい? ・・・んなバカな。 「ちょっと、待って・・・!」 「勿論、あまりお時間を取らせませんので、ご安心くださいませ。 早速はじめさせて頂きますね。 申し遅れましたが私は、女性エイトの記者の田中と申します。 初めてお目にかかりますが、どうぞよろしくお願い致します。」 さっさとインタビューを敢行しようかという この女性レポーターは、お辞儀をすると口調に似合わぬ柔和な笑顔を見せる。 突撃レポーターぶりとは、相反するようなその仕草。 「まずは、奥様。 道明寺司様との禁断の愛のお話ですが、誠に感動を誘うものでございました。 私をはじめとして世の多くの女性が、 この世紀の恋愛ストーリーには涙したものです。」 「は・・・ぁ?」 「そして、この麗しき恋愛ストーリーのヒロインでいらっしゃる奥様には、 司様の赤ちゃんの出産を控えてのご感動、いかばかりかと思います。 是非ともお気持ちを、ここで世の一般女性達にお聞かせ頂けないでしょうか?」 「な・・・!誰がヒロインだって・・・」 やっぱりこのレポーターの、柔和げな微笑にだまされてはダメだ。 大体なんだってこんな、優雅にはほど遠い 「ドタバタ恋愛」の挙句の、妊婦の話が聞きたいのよ? 「あの・・・私・・・何も・・・?」 「何もかも?・・・司様の全てが愛に包まれていると・・・?」 「いや、そういう話じゃなくって・・・。」 「ちょっとっ!!何をやってるんですかっ!?」 ここで、突如向こうから野太い声。 散歩から戻ってこない私に業を煮やして?か、ベテラン使用人女性の登場となった。 「そこのアナタ!勝手に奥様に接触されては、困ります。 奥様の話が伺いたければ、道明寺家を通しなさい!」 迫力満点の彼女の様子に、レポーター一行は ぺこぺこ頭を下げて謝罪したかと思うと、あっという間に退散した。 雲の子を散らすがごとく。 ・・・舌を巻くほど、鮮やかな手さばきだ。 威厳に満ちた使用人女史は、というと。 おもむろに眼鏡をかけ直して、しっかと私を見る。 「奥様、お変わりはございませんね?」 「あ・・・ああ、無事です。 私は・・・どうもご配慮いただきまして・・・じゃなかった。 どうもお手数を掛けまして。」 威厳のイの字もつかない「奥様」は、彼女にペコペコと平身低頭だ。 そういえば・・・突撃レポーターが私を待ち構えていたのは、 これが初めてじゃあなかった・・・かも? 喉元過ぎれば、すっかり気にしなくなってしまうのは。 ・・・私の悪いクセ、だ。 「奥様には、少しばかりこういうコトが多すぎます。」 「うう・・・申し訳ありません。」 「前にも申し上げましたとおり、 道明寺司夫人ともなると、以前とはお立場も違ってきます。 たかが散歩ではあっても、SPを付けて 外へお出ましになることをお勧めいたします。」 「はあ、そちらについても以後・・・気をつけます。」 いたって貫禄のない「道明寺夫人」はそう言うと、 もう一度ペコリと使用人様に頭を下げた。 「それでは、お部屋で暖かくしてお過ごしになられますように。 後でまたご様子を見に伺うようにいたしますね。」 それにしても。 「道明寺司の子供を胎内に授かって、どう感じているのか。」・・・か。 この手の質問って、これで何度目になるだろう。 道明寺との婚約を、明らかにして・・・ほぼ同時に、妊娠を公表してからってもの、 頻繁に聞かれてるような気がする。 今の私は以前と比べると、 外で人と接触する機会なんて、きわめて少ない・・・ハズなのにね。 どんな感じかと、言われても・・・。 何ヶ月もの間、あいつと付き合ってること自体、 ずっと隠しまくってきたでしょ? ましてや妊娠してるなんて、絶対的な秘密状態だったから・・・。 そんな緊張が、ある日全てオープンになって、 なんか、あっけないもんだなあと思って。 ・・・うん、それが感想の全てかも。 ・・・他には、特に 今になって私が取り立てていうベキことは、ない・・・。 ただ、ね。 母親の私が、あんだけキリキリ舞いしてた中を、 無事にお腹の中で過ごしてくれてたことは、赤ちゃんに感謝している・・・。 ・・・さすがは、野獣の子だ。 「感無量、でございますよね。・・・本当に 美しくて素敵で、そして感動的なお二人でしたわ。」 傍でそんな女性の声が聞こえてきので、思わず飛び上がる。 ふと見ると、今度は若い使用人女性が お部屋のお花を入れ替えに来てくれたところだった。 私はというと、ボーっとしながら 部屋に飾られている、私たちの結婚式の写真の前に突っ立っていた。 「・・・え?いえ、別に!そんなことないんだけど。 っていうか、私。いま、結婚式のことを考えてたワケでもないし。」 私と同年輩の使用人の彼女は、親しげに微笑してみせた。 「奥様のことは、誰もがうらやむシンデレラ・ストーリーですから。」 「シンデレラ・・・ね。 灰かぶりからの出発点ってとこは、確かにどっか共通点があるのかも。」 「そして、王子様たる司様をかくも魅了されたところですね。 牧野様・・・失礼。奥様でなければ、できないことですから。」 「人はそう言ってくれるけれどね。別に私、何もしたワケじゃないから。 高校の時に出会ってからってもの、私たちの関係って、 結局、殆ど変わってないような気がするし。」 「そんな所が奥様らしいですね。憧れます。」 「・・・」 憧れますだなんて、がさつな私に面と向かって・・・。 思いやり深い彼女には御礼を言いたいけど、でも・・・私、 牧野つくしが世の若い女性の憧れだなんて、 そんな「都市伝説」はアリエナイって、私は自信を持って断言できるのだった。 2 「でもやっぱり、あんたのパワーは格別にすごいと思う。」 その日の午後に、ひょこっと優紀が訪ねてきてくれた。 そして、今朝のレポーターの話をしたら、彼女は一言そういった。 「どうしてよ?」 「だって、あんたが赤ちゃんを授かった頃って、 本当にどん底を味わってた苦しい時期だったでしょ?。 なのに。今になってみると、特に言うことはない・・・なんて。 あの大変さを忘れたみたいなあんたの強さには、ほんとに敬服しちゃう。」 「厳密に言えば、ね。 赤ちゃんのことに気づいたのは、どん底の時期を少し過ぎてからだった。」 と私は訂正した。 あの当時のことなら、何もかも、 何ヶ月もたった今でも鮮明に覚えている。 一歩間違えたら、とんでもないことになっていたことも。 今になって、たいした感想が出てこないのは、私の強さの問題ではない。 私のボキャブラリーが、貧弱なだけだ。 実際に・・・あの当時、 私よりずっと重荷を背負わされて、大変だったのは、道明寺の方だ。 ・・・追い詰められて、一つづつ逃げ道を塞がれたようにも感じた。・・・何度も もう、ダメかと思って・・・それでも。 信じるしか、なかった。二人の絆だけは。 そして、現在に至る私達。 正確には、「何も感じてない」どころか、 あまりに色んなことが起こった後だったから、「感覚がマヒしてる」んだね・・・。 「つくし?」 「道明寺と私って。そもそも、別れが出発点みたいなもんだった。 女性達の憧れだなんて、とんでもない話だと思うよ・・・実際には。」 一番つらかったのは・・・私にとってどん底だったのは、 あいつを失うってどういうことなのか、 日々実感させられた頃だった・・・と思う。 との当時のことは、どんな表現で言い表そうとしたって、全然生ぬるすぎる。 まるで生木を引き裂かれるような別れを、私たちは経験したんだ。 あの経験があって、絆が深まったなんて殊勝なことは、一片も思わないけど。 二人にとっては、それがリアルだった・・・のも事実。 あの日。 前触れもなく、女子寮の前に現れた道明寺の別れの言葉で、 人生には、人の想いだけではどうすることもできない、 そんな現実が、待ち構えることもあるのだということを、 私は、学んだ。 そして、その決断は道明寺にとって当然のことだったってことも 理解はできた。 ・・・少し、時間がたてば。 それがこの世界では、当然のことだったから。 「なのに。どうして私達、 今の状態に戻ってしまったんだろうね・・・て、ことだよね? 結局は私達二人とも、呆れるほどに常識が欠如していて、 そして、異常に諦めが悪かったってことなのかなあ?」 「・・・え?つくしってば、 ドラマチックな恋愛ストーリーに、ナニ自分で水差してんのよ?」 あの頃。・・・自暴自棄にもなった。 六本木の路上で私を拾ってくれた広橋君に、助けて貰った・・・。 そんな日々の挙句に、 偶然、深夜の新宿で道明寺と再会したのは・・・別れて、 たった半年かそこらのことだ。 色々な葛藤があったはず・・・なのに。 私達って、関わればかかわるほど・・・深みにはまった・・・。 まだ混乱の最中に判明した、妊娠・・・だった。 それを確認したとき、一瞬頭が真っ白になったのも「リアル」 あの当時、道明寺ほどの強さが 自分にあったかと問われたら、私は確実に首を横に振っていた。 でも私とは違って、道明寺は・・・敵から どんなプレッシャーをかけられても、もう一瞬たりともひるまなかった。 あいつの凄さは、逆境であればあるほどにパワーアップしていった。 見る間に、あのケイン会長を前にしても 一歩も引かない程の、強靭な男に変貌していった・・・。 それも、私たちの「戦う恋愛時代」が残した、賜物の一つ・・・。 「でも、もしあの時、あいつや・・・ 皆に助けて貰わなかったら・・・、やっぱり私は、逃げ出してたかもしれない。」 「つくしは昔から、自分だけ辛い思いを我慢しちゃうの、得意だから。」 優紀は、断片的な私の言葉から、気持ちをちゃんと拾って察してくれていた。 ろくろく説明なんて、していないのに。 「どっかにナビが付いて見張ってないと、心配だったよ。」 「ごめん・・・道明寺にも、皆にも・・・何度も心配、かけてたよね。」 あの頃のこと全てが、今じゃこうして、 「過去形」で話せるようになったという、「現実」に、 私は心から感謝しているよ。 「皆からして貰ったことを考えると、私から返せたことなんて殆どないけどね・・・」 そう言いかけたら、優紀は首を振った。 「ううん、皆がね。あんたを見てて、夢が実現するって言葉の意味がわかったと思う。 すごい女だって・・・あ、これは総二郎さんの言葉なんだけど。」 「スゴイ、女?」 「そうよ。それから、さすがは元『勤労処女』だってことも。 それも彼、感心してたわ。」 「・・・元勤労処女だって、それのどこがほめ言葉か?・・・」 素直な優紀は、西門さんの言葉だからとホンキで感心してる風だけれど・・・、 私には 西門総二郎の高笑いが聞こえる気が、するんだけどなあ? 「あれ?お茶が冷めちゃうじゃないっ。 ・・・私達ってば、おしゃべりに気を取られすぎ!」 「・・・大きくなったね、お腹。やっぱ、大変そうだ。」 「うん。あと二週間切ったからね、予定日も。」 「うわあ、あと二週間か。・・・あっという間だよね〜。 初めての出産だから、予定日近づいてくると不安になるでしょ?」 「不安はあるけど・・・今はあいつが、傍にいてくれるし。」 ひえ・・・なんか。 自然にノロケちゃってる?私? ・・・優紀の前とはいえ、・・・やっぱ、 恥ずかしすぎない? 3 夕方暮れなずむ頃に、ママから電話があった。 そろそろ私の出産が近くなったし、東京に出てくることにしたと言っていた。 東京には来るんだけど、泊まるところはビジネスホテルを押さえたと・・・? 「ナニやってんのって。それなら、うちにくればいいじゃない。 道明寺家にはお部屋もいっぱいあるし。 ・・・ママに遠慮なんて、100%似合わないよ。」 「そうだけどねえ・・・。」 パパも自分も、あんまり立派なとこは落ち着かないなどと。 ・・・まったく。 ママとの会話は、「埒があかない。」 昔あんだけ、「玉の輿」がどうの、 「デキチャッタ結婚で、道明寺サマをゲットするのよ!」と 人をそそのかしてたってのに。 いざ本当に私たちが、 授かり婚の運びになってしまったら・・・柄にもなく、気が引けているらしい。 「うん、もう。じゃあ、私も道明寺に相談しとく。 こっちでいいようにするから、気にしないで。」 「ちょっと、つくし!・・・あんたったら、 ご主人様のことを、いつまでも道明寺なんて呼んで!非常識な!」 「それも平気だって。ママが心配することないわよ。」 「だいたいあんたには、自覚が足りないわよっ。誰に似たんだか・・・。」 「確実に、ママに似たね。」 「異議有り!」 ママときたら、いたらぬ娘を諭す母親になりきっていた。 「道明寺様に心配ばかりかけて。あんたときたら。」 「や。相変わらず、他の皆に心配や迷惑をかけてんのは、 どっちかというと、道明寺なんだけどね。」 私の出産予定日が近づく中、実際にあいつがやったことといえば・・・。 予定日の前後は、ゼッタイ海外出張を入れるな、 それから夜に跨るアポも厳禁だと、 秘書氏に向かって、喚いてなかったか? ・・・取引先や会社の皆に迷惑かけることを、躊躇いもせずに。 出産の日は絶対に私一人にはさせない、自分が立ち会うんだと鼻息荒く言いだしたから、 だから。私の方が言ってやらなきゃならなかった・・・ 「あんたが仕事休んで、立ち会ってくれるって気持ちは嬉しいけど。」 「・・・けど?」 「出産のその瞬間に、あんたがいて役に立つってわけじゃあない・・・よね?」。 (むしろ助産婦さんとかの、足手まといになること間違いナシっ!) 「大体その出産の日だって・・・つまり、赤ちゃんがいつ生まれてくるかだって、 その時にならなきゃわからないんだから、秘書さんを振り回さなくていいよ。」 「その時になんなきゃ、わかんねえ?・・・んな、 出産を甘く見るようなことを言うな!出産ってのはなあ、大変なんだぞ。」 「んなことそれこそ、あんたに言われなくったって、わかってるわ! ともかく。あんたの気持ちだけ、有難く受け取るから。」 「おいっ、なんだよその、気持ちだけ受け取るっつーのは? 俺もだな、おまえの出産に向けて 色々トレーニングっつーのを、開始するとこなんだよ!」 「は?あんたがナニをトレーニングするのよ?意味不明。」 「・・・イ、イロイロ、あんだろ? その・・・イメージ・トレーニングっつーのとか・・・。」 出産の知識については、段々自信がなくなってきたのか、 真っ赤になって、しどろもどろに主張するこいつが、 なんか可愛かった。 ・・・ほんとに、ほんとうに、喜んでくれてるんだね。・・・道明寺? このくらい、わかりやすい男って、他にいないんだから。 「道明寺さんには、こんなに大事にして頂いているんだから。 ともかく、つくし?あんた身体には十分に気をつけて、過ごしなさいよ。」 「はあい。」 道明寺夫人といわれるようになって、数ヶ月。 あの激動の恋愛時代が−、ノンストップのスリルと、衝撃と驚愕と ・・・そして緊張の連続の毎日だったのが、 ウソのような、穏やかな日々。 高校時代からずっと板についてきた、「道明寺」って呼び方も、 今となっては多分に、「対外的な呼称」・・・と言えた。 長い間人前でもそう言っていたから、馴染んでしまったんだ。 でも。 二人だけでいる時は・・・さすがに、違う。 「司・・・お帰り?今日は早かったのね?」 顔を上げた私は、夫が仕事から帰ってきていたのを認めた。 司が帰宅の度に、使用人の皆さんが玄関に整列して「お出迎え」しているので、 以前は私も、その輪の中に加わっていたのだが、 最近は身体が冷えるから部屋で待ってろと、司に言われていた。 「ああ。今日は楽勝。・・・先日ごねてた狸親父が、 諦めたのか、おとなしかったからな。」 司は無頓着にネクタイを緩めながら言った。 「またあんた、相手先の会社の方を脅したんでしょう?」 「するかよ、んなこと。向こうが勝ち目はねえって、自分で悟ったんだろ。」 乱暴に答えながらも、司の声は明るかった。 仕事も、順調そうだ。 「ただ・・・明日の仕事は、そういうワケにはいかねえ・・・かもな。」 司のその言葉に、私は顔を上げる。 「どうして?」 「明日は仕事でケインの親父に会わなきゃ、なんねえ。」 かつて、ケイン会長の名前を出すときには、 司は必ず苦虫を噛み潰したような表情になった。 でも・・・今はもう、 嵐が過ぎ去って数ヶ月。 こいつも、そっけない反応しかしなかった。 「あの、ケイン会長と?」 こないだ「戦争状態」だと言ってたのに、明日は商談。 ビジネスの世界で、企業人とやらが考えることって私にはよくわからない。 ちっとも「節操がない」とも思うんですけど。 ケイン会長にしろ、亜里沙にしろ、 それから私の義母たる道明寺楓にしても、引っ張りだされる司も含めて・・・だ! 「こいつもビジネスだってよ。」 「そりゃビジネスだろうけど? ビジネスだって、生身の人間が携わるものでしょう? あんだけ揉めてたってのに。よくもまあ殊勝な顔して、 お互い、商談のテーブルにつけるもんよね?」 随分と悪事を企んでくれていた、ケイン・グループ。 私は、のど元過ぎれば・・・とばかりに、 平然と道明寺にやってくるという、ケイン会長の「顔が見たい」くらいだ。 「でも、亜里沙・クレオ・ケインは、今回は一緒じゃないんだよね?」 「ああ。あの女はまだパリにいて、類の近くに張り付いてるらしいからな。 まったく親子そろって、とんだ食わせ物だったぜ。」 これも、過去形。 ・・・そう、もう全てが終わった話だって、 司も私もとっくに承知してるんだから。 司は、私の頬に優しく手を触れた。 「・・・俺も、トニオ・ケインとだけは、 将来に亘ってだろうが、ゼッタイ組みたくねえと、 随分噛み付いたんだけどな。 結局は社長命令だ。 お袋が面談にゴーサインを出して、 俺にも出席しろってこと。」 「うん、わかってるよ。それは。」 香港を発端とした中国輸送事業は、 あの両家のゴタゴタとは無関係に、現地法人同士の努力で見事にコラボが成立し、 成長市場での収益基盤も、確立できていた・・・と聞いた。 短期間でこれだけのことができるのは、やっぱり道明寺財閥と、 ジェネラル・ケイン・グループという 二大勢力の結集が成せる技だっただろう。 そしてもう、私達が結婚してしまった今、 何の心配もないと道明寺楓社長は、判断したのだ・・・多分。 「ま、くだらねえ話はこれで終わりだ。・・・んで、おまえの具合はどうだ?」 「うん、大丈夫。私は、すこぶる元気。」 「そっか。」 私の体調を確認して安心したのか。 同時に、司からビジネスの緊張の全ても解ける感じだった。 ・・・こいつは、これでも 道明寺家入りしてからの私のことで、とっても気をつかっていた。 私に無理をさせないように、 そして他の人の配慮のない発言に、私が傷つくことがないようにと、 (今となっては、そんなことはもう、ないんだけどね) 何気にその、鋭い目を光らせているのだ。 前に二人が、なすすべなく別れてしまったときのことが、 今でもきっと司には、トラウマのようになっている。 この一年の間に、それを何度か感じたことがあった。 でももう、それだって過去形で済ませる時期だと思うよ。・・・ね、司? 「ねえ私たち。赤ちゃんに会えるまで、 あともう二週間くらいの、カウントダウンなんだよね。 そしたら、あんたが赤ちゃんのパパになってしまうなんて、 節操のないケイン・グループを超えた脅威だと思わない?」 「ほざけ。それを言うなら、 おまえみたいなガサツ女が人の親になるって方が、人類の奇跡だ!」 「奇跡だって?・・・また、自分のことを棚にあげて。 ホントに、こんなにぶっ飛んでる男、私は知らないから。 昔、あんたと付き合ってる私は、 ボランティアの領域だって、国沢亜門に言われたことあったよ。」 「つまんねえこと、覚えてるな!」 ちょっとシリアスな気分を感じたときは、 お互いを罵倒しあうと、私たちは適切な温度に戻ってくるんだ。 これって、むしろ私達にとっては心地よいコミュニケーションみたいだね・・・。 「おまえ相手に無駄口たたいてたら、腹減った。夕食にするぞ。」 庶民のお惣菜専門だった私も、 ここ道明寺家に来てからというもの、シェフの手による 美味なディナーを頂いてばっかだ。 「今日は優紀が来てくれて、ね。 お茶のお菓子もたっぷり頂いたんだ。・・・一日中食べてばっかかも。 これじゃ、また体重が増えちゃううねえ。」 「アホか。出産直前の女が体重増えなくて、どうする?」 「・・・そっか。そうだよね。・・・よーし、今日は食べるぞっ!」 右の拳を突き上げて気合を入れると、 そんな私の頭を包むように、司の大きな手がぽんと置かれた。 4 「早く生まれねえかな、ガキ。」 その日の夜は、司の仕事にも邪魔されなかった。 二人っきりで寛いで食事をして、 そしてそれから後も、お部屋でお喋りできる、 ゆったりした時間があった。 「なによお、そのガキっていうの。 二人の大事な赤ちゃんなんだから、もっと言い方があるでしょ?」 「よく考えてみると、ガキってのは 仕込みからアウトプットまでが9ヶ月って、長すぎだよな。」 「ちょっとっ!人の言葉を聞いてないっ。  なに、そのさっきにも増しての非常識発言!? そもそもね、子を授かるという神聖なる行為に対して、 仕込みだのアウトプットだのだって? デリカシーがないっ!」 「事実は、事実だ。そして9ヶ月なんて、とんでもねえ話だ。」 「またあんたは、自然の摂理に対して無茶なことを・・・。 大体どうしてあんたが、女性の妊娠期間に文句つけんのよ? 関係ないいじゃん・・・っていうか。 まさか、私が妊娠中はやらしいことするのが不自由とかって、 とんでもないこと考えてんなら・・・!?」 「バーカ、違うよ。人をけだものみたいに言うな。」 そう言うと道明寺は、身を屈めるとそっと私の額にキスした。 「まあ神聖な・・・つーことは確かにその通りだとしても。  9ヶ月もの間、おまえが無理できねえ状態で 色々大変そうだから、早く楽にさせてやって俺も安心してえんだよ。・・・な?」 「・・・うん。」 私は顔を赤らめたままで、こくんと頷いていた。 こんな風に、てらいもなくストレートに私への気持ちを示される方が、 こいつに、やらしいこと言われると同じくらい・・・ううん、 それ以上にずっと、恥ずかしいよ。 その、不器用な愛が、なんてポカポカと私を暖めてくれるんだろうね。 そして司の、そういうところって・・・ 出会ったばっかの高校生の頃と、ちっとも変わってないんだ。 ビジネスでは修羅場を潜り抜けて、百戦錬磨の企業戦士になったとしても? きっとこいつはずっと、変わらない。 二人の「夫婦の会話」は、更に続く。 「二週間かそこらして、赤ん坊が生まれたら、俺らどんな顔してんだろうな?」 「どんな顔だって?・・・ソレより先に、私たち。 今よりもっと大変になるはずだよ?」 「そうかよ?」 「そうだよ。・・・だってね、 今はこうやって、二人で無責任な会話してられるけど。 赤ちゃんが生まれてきたら、きっとあんたのおかあさんからは 英才教育の話とかあるだろうし、 人の親ともなると、私たちにも色々責任とかも出てくるんだし・・・」 「エイセイ教育?それは生まれてくるガキが受けるんだろ? 俺がやるわけじゃねえから、別に俺は何も大変にはならねえし、 責任を感じる必要だってねえだろうが?」 ・・・日本語が・・・ビミョウに通じてないよ・・・。 ソンナとこも、やっぱり道明寺だあ・・・。 「何でおまえはさっきから、話しながら顔が赤くなったかと思うと、 ため息ついてんだよ?」 「は?」 「挙動不審だ。」 「・・・」 そりゃ、ため息もつくっての。 やっぱ私・・・、道を誤ったかも・・・? ・・・こいつと二人で、「これから生まれてくる子の親」になること。 道明寺家主催のパーティ会場では、一分の隙もないほどカッコいい男なのに。 いくつになっても、このギャップ。 ため息もつかの間。 今度はおかしくなっちゃって、私としては下を向くしかないんだけど・・・。 「おい。・・・なんで急に黙るんだよ?」 言われて顔を上げると、司が今度は 心配そうな表情を浮かべてこっちを見ていた。 「あんたこそ、どうしたのよ?」 「おまえ、さ。・・・もしかして、始まったんじゃねえか? えっ・・・と、何だ?その・・・チンツーだったか?」 「・・・それを言うなら、陣痛!」 ダメだ! もう、限界。・・・私はプーっと吹き出してしまっていた。 「おいっ!!」 「ごめんごめん・・・だって泣く子も黙るF4のリーダーが、 そんな心配そうな情けない顔して・・・ チンツー?なんて言うんだもん。」 「笑うな!・・・おまえなあ。 人がすげえ心配してるってのに。・・・その。 痛みが始まっちまったら、何時間も大変だっつーだろ?」 付け焼刃の陣痛知識を笑われたと、不興げな司。 でも私。 そんなとこも、大好きだよ。 「だから、ホントにごめん!・・・あー、それで私、 まだ陣痛じゃないから。どこも痛くないし。 だって予定日まで、あと2週間もあったでしょ? ・・・初めての時ってフツウは、予定日より遅れるもんなんだ。 あと少し、こうしてのんびりしながら、あんたとバカ言ってられるハズよ?」 口にしながら、本当にこんな風に笑ってられる私は、 なんて幸せなんだろって思った。 もし。 ・・・もう少し歯車が狂ってしまっていたら、こうはしてられなかったハズだ。 ほんの一年前は、実際に「お先真っ暗」だった。 さっきから、あまりに笑い過ぎたせいだろうか。 やっと落ち着いて息を整えた時に、ほんの少し お腹の奥がちくっとしたように感じた。 多分、気のせいだ。 「さあて、健康第一! いつまでもバカやってないで、二人とも早く休も。 せっかくあんたもゆっくりできる日なんだし。 明日は、ケイン会長に会わなきゃなんないでしょ?ビジネスマンは辛いねえっ?」 「つまんねえことを、思いださせんな。」 「うん!やっぱ私のお腹の子にも、ストレスフリーで十分な休養が、一番!」 そして私はさっさと寝支度を整えると、司を促して一緒にベッドへ。 二人で寄り添って横になりながら、あの「隠れ家」時代は、 一つのベッドで相手の体温を感じあうことで心細さから逃れていたことを、 一瞬だけ、思い出した。 今振り返ると、はっきり断言することができる。 あの頃も、私は幸せだった・・・と。 だって、ずーっと司と一緒だったのだから。 そして、今宵はまた。 なんって、平和で幸福感だけに満ちた夜だろうと、心から思った。 赤ちゃんと会える日を待望してるけど、 司と二人きりのこんな夜も、私は大好きだよ? 「久しぶりだな。仕事抜きでこんなに早く眠れんのは。」 「健康的すぎて、逆にあんたの調子狂っちゃうんじゃない?」 「かもな。」 そう答える夫に、私も愛情いっぱいの大サービス? 「ねえ、司?・・・いつかみたく、 あんたがすぐ寝付けるように、日本の子守唄うたってあげようか?」 「要らね。人の心配してる前におまえも赤ん坊も寝てろ。 こっちは、おまえに触れてるだけで、疲れも取れて熟睡できる。」 本当に、やがて、傍らの司の寝息が聞こえてきた。 ああ、この心地よいリズムを子守唄にしながら、 私も眠ろう・・・。 静かに始まっていた、私のお腹のちくっちくっが、 やがて規則正しく続くようになっていったことに 私自身が気が付いたのは、もうちょっと後のこと。 安眠を楽しむハズの、司と私が 大騒ぎをすることになるのも、まだ少し先の・・・ 日付が変わってからの、話。 そして・・・私の鈍感ぶりは、また一つ皆の笑いの種になる。 〔fin〕

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